radiotsのブログ

どうも、僕です。

雪。

どうも、僕です。

 

 

 

 

 

今日はものすごく冷え込んでいた。雪が降っていて風も強く、とにかく寒い。こんな日は極力外に出たくないが、そうも言っていられない。

 

 

 

 

 

 

 

テレビの天気予報では「最強寒波」がやって来ていると言っていた。そりゃ寒いはずだ。何せ最強寒波である。寒いのは辛いが、真面目なニュースで出てくるこの手の小学生みたいな表現は好きだ。「くらえ!最強寒波!」「くっ……!これが最強寒波の力……!」「くくく……まさかお前ごときに最強寒波を使うことになるとはな……」

 

 

 

 

 

 

 

予報では夜中も雪らしい。明日も毎日毎日遠い職場に行かなければならないのだが、高速バスやJRが走らないかもしれないということで、無事辿り着けるのか不安である。子供の頃は雪が降るとただわくわくしたものだが、いつの間にか「嫌だなあ」という気持ちの方が大きくなってしまった。これが大人になるということか。

 

 

 

 

 

それでも、朝窓から雪景色が見えた瞬間なんかはちゃんとウキウキはする。気分が乗れば写真も撮る。そして一通りウキウキした後に、「ああ、面倒だなあ」と思うのだ。

自覚のあるなし。

どうも、僕です。

 

 

 

ここ最近仕事で遊歩道を扱っている。

あまりこういうことを言うのもあれなんですけど、“遊歩道”は己の“UFO感”を自覚しているんですかね。全く意識してないとしたらちょっと問題ですよ。もちろんUFOが悪いとかじゃなくて、自覚の問題としてね。わかってるんだったら全然いいんですけど。

 

逆に“UFO感”を意識するあまり自分からガンガン出されてもそれはそれで面倒ですからね。こっちとしても引いちゃうんで。「そういうのいいから」って。要はバランスですよね。しっかりと自分の“UFO感”を自覚した上で、それをうまくコントロールすることができるかどうか。それが重要ですよね。

 

そういう意味では、側から見て“UFO感”を自覚しているのかどうかがわからないというのは、とてもいい状態ではあるんですよね。見え方としては。自覚があってコントロールした上でこの見え方なのであれば、それは素晴らしいことですよ。才能と言ってもいいでしょう。

 

ただ、自覚ができていない場合は、いずれ痛い目に遭うでしょうね。遅かれ早かれ。気の毒ですけど、まあ仕方がないですよ。こればかりは自分で気づくしかないですから。うん。厳しいようですけどね。

狩られいちご。

どうも、僕です。

 

 

今がシーズンなのか、至る所で「いちご狩り」という文字を見かける。そしてその度に「いちご狩り」という言葉は「いちご」のポップな可愛らしさに対して「狩り」の文字面が恐すぎてバランスが悪いのではないか、と思っている。

 

 

まだ「苺狩り」という表記ならいいのだ。漢字表記の「苺」は、表面をよーく見たら粒々が気持ち悪いところとか、果実っぽい部分が実は果実ではないところとか、痛んだ部分が白っぽいピンクのブヨブヨになるところとかもひっくるめて“苺”というものを表現している感じがある。「狩り」と並んでいてもそれほど違和感はないし、バランスが取れている。

 

 

一方で、平仮名の「いちご」は、苺のポジティブでキャッチーな面のみにスポットライトを当てている感じがするのだ。カラフルで可愛くて甘くて美味しい。それは美しく整えられた幻想である。それを、「狩り」という生々しく現実を伝えるような言葉と並べるのは、わざわざディズニーランドの真隣にハローワークを作るようなものだ。違和感があって当然である。世界観のバランスが崩壊しているのだ。

 

 

とはいえ、イベントの名前として見たときに「苺狩り」だとやや堅苦しい印象になるのは否めない。これだと行きたいと思う人も減るだろう。ならば「いちごがり」はどうなのかというと、全体的に可愛くてバランスはいいものの、ぱっと見で意味を認識しづらい。受け手に内容が伝わらなくては本末転倒だ。幟が無意味に風に靡くだけである。なびくってこんな漢字なのか。知らなかった。

 

 

そう考えると、なんだかんだで結局「いちご狩り」に落ち着いているのは、仕方がないことなのかもしれない。

絶対に。

どうも、僕です。

 

 

コーヒーが好きでよく飲む。自宅で淹れることもあるし、出先の喫茶店でも飲む。

 

ところでコーヒーは結局体に良いのか悪いのか。両方の説を定期的に聞いている感じがするので結局わからないままだ。一体科学者たちは何をしているだ。混ぜてはいけない液体同士をうっかり混ぜて爆発を起こし、髪の毛がチリチリになって口から煙を吐き出している場合ではないだろう。早急に結論を出してほしい。

 

一つだけ確かなのは、コーヒーを飲むとおしっこに行きたくなるということである。世の中に絶対などないと言われるが、これだけは間違いない。

謹賀。

どうも、僕です。

 

 

 

新年早々あまり品のいい話ではないが、「笑いながらシコる人」という言葉を思いついた。言わずもがな、竹中直人の「笑いながら怒る人」をもじったものだ。“お”を“シ”に変えただけで全くもって状況が変わるし、場面を想像するとすごくインパクトがある。かなり質の高いもじりである。

 

 

ここで気になるのが、他にも思いついている人がいるのではないか?ということだ。収まりのいいもじりは大抵誰かしらの手垢がついている。自分が最初である可能性などほとんどゼロに等しい。

 

 

実際のところどうなのか確かめるために検索してみた。すると、出るわ出るわ。同じことを考えている人が山ほどいた。いるだろうとは思っていたが、予想を遙かに上回る数だ。「ひょっとしたら自分が初めてかも!」と心のどこかで思っていた自分が恥ずかしい。そんなわけないだろ。図に乗るな。

 

 

思いもよらない形で身の程を知らされながらの2023年のスタートだ。身の程は定期的に知れるに越したことはない。ありがたい話である。

 

 

そんなこんなで、今年もよろしくお願いします。

冬至。

どうも、僕です。

 

 

今年の冬至(12月21日か22日)は激寒だった。

 

冬至直後のリアルターキー杯はそれはもう手先と足先の感覚がなくなる寒さだった。

 

いつも「暦の上では」みたいなことを言われてもあまりピンとこず、左右の鼻穴をダブルでほじりながら「とーじ?」とか言っていたのだが、めちゃくちゃ寒くて「さすが冬至であります!」という感じだった。指先がかじかんで鼻ほじりどころではない。なんなら雪も降ってた。今年の冬至は気合いが違う。ラストイヤーなのか。

 

 

 

冬至には「ん」がつく食べ物を食べるといいらしい。「運がつく」のだそうだ。だったら「うん」がつく食べ物じゃないといけないのではないか?とも思ったが、当然それはわかった上での難易度調整なのだろう。「ん」だけでいいのならそれに越したことはない。やり込み派の人は自主的に「うん」縛りで過ごせば良い。そんな食べ物パッと思い浮かばないが。

 

 

「ん」がつく食べ物は何があるかと思ったら、けっこう、というかかなりたくさんある。まず「〜飯(はん)」「〜麺」「〜パン」が全ていけるし、「うどん」「おでん」「ナポリタン」「きりたんぽ」「ピーマンの肉詰め」等も対象だ。「杏仁豆腐」「プリン」などデザートも充実している。

 

 

さらに究極の手段として、量を減らしてメニューの頭に「半」をつけるというやり方がある。これによってどんな料理でもたちまち「ん」のつく食べ物にすることが可能になるのだ。ある意味禁じ手と言えるかもしれないが、ルール違反はしていない。開き直った者勝ちの現代社会を生き抜くには、このくらいのことはやっていかないといけないのである。

 

半肉じゃが

 

半オムレツ

 

半シチュー

 

半麻婆豆腐

 

ペヤング

 

半ドリトス

 

カヌレ

 

フルーチェ

 

食べる量を減らすことで摂取カロリーも抑えられ、さらに運もつく。いいことずくめである。この「冬至“半〜”メソッド」、かなり画期的な方法だと言わざるを得ないのではないだろうか。

 

 

 

毎年この時期に講演会とか回ろうかな。

季節。

どうも、僕です。

 

 

 

靴下に締め付けられている部分が痒い。冬場はたまにこうなる。季節を感じる瞬間というのはいろいろあるが、これもその一つだ。

 

 

 

こたつ、イルミネーション、靴下の締め付け部分の痒み、である。お餅、心なしか慌ただしさのある商店街、靴下の締め付け部分の痒み、なのである。

 

 

 

 

今年ももうすぐ終わる。